プロフィール的ふりかえり2

<懐かしくなるきっかけ>

その後10年ぐらいは、クリスマスのカードに近況を書く程度の付き合いが続く。仕事も忙しくどんどん月日が過ぎていった。
ある日、ママの友達とその娘の学校のコーラス部のメンバーが、日本の姉妹校で合同発表会をするらしいという手紙がきた。東京で宿泊後、姉妹校の北海道でコンサート、香港に観光に行って、成田でトランジットして帰るらしいことはわかった。でも宿の名前があやふや、電話番号も分からない。香港のホテルに電話し、それらしき感じはつかんだけどコンタクトは取れなかった。
「会えなかったごめんなさい」と言うつもりだった。最後トランジットの際の成田のホテルに泊まるらしいことがわかり、かたっぱしからホテルに連絡。JALらしいこともわかり、奇跡的に同じホテルの宿を取れたので、FAXで手紙を送り渡してもらうことにした。夕食前に会うことができて、懐かしくずっと話をしていた。朝空港に行くバスを待つ間、ロビーで一緒に待っていた。

ママの友達は、保護者代表として、娘はピアノ伴奏の役割。ジャズコーラス部は総勢20人。「どんな曲を歌ったの?」とか質問していたら、先生がなんか目配せして指を鳴らしはじめ、いきなりコーラスが始まった。

その時は曲名が分からなったがずいぶん後になってわかった有名な曲「Manhattan TransferのTrickle Trickle」だった。

素晴らしいコーラス、高校生の部活を超える素晴らしいものでした。彼らにしてみれば大したことではないのかもしれないが、ロビーがいきなりコンサート会場になってしまった。その場にいる皆んなが拍手していたのだ。こんな体験をしたら、ママの友人親子にまた会いたい、パパとママに会いたいと思うのは当然。お世話になったのだから、会いに行きたいと思った。

<再会の旅>

ここで問題が発生。高一の時は引率の先生がいたが、今回は一人。しかも中西部となると、直行便はない。3ヶ月、英会話テープを聞きまくった。13年ぶりに再会のたびにでた。ノースウェスト航空で、ロスからミネアポリス経由で行くはずが、メンフィス経由になり、トランクはミネアポリスへ。さらに、便が遅れ小銭にくずして電話しなきゃとかずっと緊張のあまり、チケットをトイレにおき忘れてしまったのだ。なんかアナウンスで、自分の名前が呼ばれている。ゲートでジェスチャーを交え、名前が呼ばれているんだけどと聞くと、〇〇ゲートにチケットが届いているよ。よかったね。と言われるまで置き忘れたことに気づかなかったのだ。荷物もパパの友達がノースウェストに勤めていて、翌日の朝にはファミリーの家の前に届いていたのだ。これも凄い話かも。これも奇跡的。

この後、パパとママが天国に旅立つまでの25年、3〜4年に1回会いに行き続けることになる。