プロフィール的ふりかえり4

<アメリカの両親との思い出>

学生時代の1ヶ月のホームステイ、その後の8回訪問(1週間ぐらいの滞在)は、両親の率直な考えを聞いたり、初回の訪問で感じた思いに戻ることができました。自分の生活する環境では、認めて欲しいと背伸びをして疲れていたのだろう。リフレッシュと言うか、別の環境で原点の自分にリセットできたのだ。

会えない年も、たまにかける電話で、最初は5分で済む話を30分かかるが、徐々に必要な用件はやりとりできるようになった。言葉は大した内容でないけれども、声のトーンや話し方で元気がないとか楽しいことがあったとかわかる。
会いにいく年は、春ごろ電話して6月と9月と都合を聞いて、自分の仕事の都合と合わせてフライトを予約する。手紙か後半はE-mailで予約内容を連絡するのだが、筆不精の両親は、確認したよって返信がないので、電話することになる。

<不思議なこと>

ある時、クリスマスの近況報告でお父さんが癌を患っていると書いてあり、来年行かないと一生会えないかもしれないと感じた。9月のフライトの予約が取れメールと手紙も送った。なんとなく確認の連絡をしようと電話した。普段両親が電話に出るのに一緒に住んでいない子供達が電話に出た。代わる代わる電話口に出る。最後にお母さんが、お父さんが自宅でターミナルケアを受けていて危篤だと話してくれた。私の電話の3時間後に天国に旅立ったのだ。その年は、ただお母さんの側にいて話をしたり、日常の買い物や行事に同行する旅になった。後にお母さんはお父さんは私の電話を待っていたんだろうと言っていました。

初めて行った時は、お互い相手がこう考え、こう感じているのだろうと思っていても、確認するすべが無かった。徐々に回数を重ね確認できるようになると、お互いが感じていた事が正しいことがわかった。不思議、国も言葉も違う、距離も離れていても、心通じるところがあるのを実感しました。それは、根底に双方通じる何かがあってのことなのかもしれない。子供達や孫も全員がそうなわけでなく、孫娘がその感覚を引き継いでいた。彼女はお祖母さんと私の関係を感じて、FBでお母さん(私にとって)の死を知らせてくれた。

<ネブラスカで感じたこと>

・人と人は言葉が通じなくてもコミュニケーションできる
・自分が自分らしくなることとは
・親と子の自立した関係
・家族で誕生日や祭事には集まり、助け合う

両親が、等身大の自分をそのまま理解して受け止めてくれていたからだと思う。そして、実の父もそうした考えを持っていたのかもしれない。今となっては確認のしようはないが、こういう話をするとこう答えるぐらいはお互いわかっていたかもしれない。

この年になってみると、いろいろな意味で人に恵まれたと思う。自分自身ゆとりを持って相手のわかる言葉、表現で接していきたいと思う。